思ひ出でては懐かしく 心に沁みて懐かしく

2021.06.06 17:55。この時間には天に召されていたんだね。

まだ「懐かしい」は早いだろうとおっしゃる方、確かにそうなんだけど出典はラストにある。

山口さんが空に行ってしまってはや2週間。さすがに現実は受け入れないわけにはいかない。ご家族の方もTwitterに出てこられ挨拶された。ニュースにもなった。もうご本人がツイートすることはない。かといって簡単に割り切れるものでもなく、折々には「あんなことを言っていたな」とふっと思うこともある。3版の増刷、おめでとうございます。

著書の中に「死んで忘れられるのが怖い」を「サクラは散るから美しい」のだと打ち消している箇所があった。どっちも素直な気持ちだと思うけど、人は死んだら忘れられるのか?わたしは幸いというか近しい人をあまりなくしていなくて、祖父母や伯母などだけである。特に可愛がってくれた片方の祖父母のことは、大分経っても思い出す(祖父についてのエントリ)。ペットもたくさん亡くしていて2匹前くらいからここや旧ブログに書いている。子供のとき鳥を死なせてしまったこと、1匹前のフェレットを早く医者に連れて行かなかったことはほんとうに後悔している。ネットの知り合いは、Twitterで話していたHagexさんがいた(エントリ 1, 2)。

結論から言えば、残された人が忘れなければその人は本当の意味では死なないと思っている。ああすればよかった、こう言っておけばよかったという後悔がそれまでに必ずあるので、それは次の大事にしたい存在に対し生かされる。山口さんに滑ってもいいから話しかけていたのは今までのいきさつのためで、ご本人も「言葉は言ってナンボ」的に考えていたらしいのは偶然の一致だった。亡きフェレットたちなんて見えないけど頭の上あたりに飛んでいるんじゃないかと思っている。ただしそこまでに時間がかかった。

忘れるといっても、亡くなった当初の辛い気持ちをそのままいろんな人が持ち続けてはしんどすぎるので、心の健康のためもあるのか少しずつだんだんよい按配に和らぐのではないか。オンライン講座gaccoの「memento mori」(東北大、宗教民俗学)では、亡くなって間もない魂は落ち着かないと言っていて、弔い上げで先祖の霊に入ると言っていたような。多分講座は夏頃始まるはず。

サクラの木の寿命は何十年間だそうで、その間普通は毎年咲いてくれる。日本人は本当にサクラが好きで、海外の人にもきれいなんだってねと言われることがある。その年の花は散っても花見にまつわる思い出は残るし、来年また咲いてくれるだろう、春はいいなとみな期待している。夏はあおあおとして、冬は枯れ木になってもよく見ると花芽がついてきていて、季節が巡っても満開の美しさをみな覚えている。ソメイヨシノ以外にもバラ科のサクラは品種も豊富で見ていて飽きない。

ところでわたしは、終末期の人にあまり接したことがなかった。恐らく互いの死生観はかなり似ていたのではないかと思うが、辛そうなときはどう声をかけたらいいだろうどう言うと少しは気が紛れるだろうと自問自答した。思えば最初に流れてきたブログエントリ「グッドバイ」にかなりやられてしまっていて、理屈ではなく放っておけなかった。何も言わないと後悔すると思った。後で辛くなるだろうことも分かっていたが、実は後で書くようにそれだけでもなかった。

わたしが何十年間かの闘病(病は違う)で身につけた死生観はあるにはあるけど、山口さんのあの闘病は 密度も濃度も けた外れだった。ただ今まではがんを患った作家の方などが知った時点でこの世には居なかったのとは異なり、今回は現在進行形だった。自分のようにメンタルを患った患者さん同士は距離感が難しいので、人にもよるけどあんまり近くには行かないが、難しいがん患者さんだとこんな風に戦友を失っていくのかもと思ったりもした。

それに、調べりゃわたしの年は分かるがあえて対等でいようとした。同じく病気持ってしんどくて、大学の勉強があって。楽器弾くのが好きで音楽も好きで。好きなバンドが重なっていたりして。写真撮るの好きだったのでは(本に専門用語が複数あった)。だから仲間意識があったんだけどそう書くべきだったな(心残り)。 『ヒトモノガタリ』がどういう切り口なのか分からず、放送があったのは知っていたけど見なかったことも心残り。

きっと亡くしてしまうと辛いだけかと思っていた。実際今も傷の程度が自分でも分からないのだけど、Twitterのお悔やみや追悼リプで書いたことは全くの強がりではない。

  • 髪を伸ばしてヘアドネーション。ギリギリコメントが間に合ったのだけど、noteに「髪質ほぼ関係ないそうなのでやります」と書いて読んでもらえた。数日前、久しぶりの美容院に行き相談し、大変だそうだけどこのまま行くと1年かかる。
  • 血液疾患は翻訳学校で訳したことがある。手紙に書いたのは、まだ赤ちゃんのような再生不良性貧血の患者さんにHLAの違うお父さんが移植?したずっと昔の論文の課題。拒絶反応が大変で訳していて辛かった覚えがある、と。訃報を聞いた前後からハプロなども不思議だなと思っていて、院試の後になりそうだけど血液疾患も勉強してみようかなと思っている。がんだって誰がなるか分からないし両方仕事に生かせたら。
  • このブログでもう少し献血大事とか、今終盤にさしかかったがん研究のクラファンとか、そういうことを書けたら。

亡くなってしばらくするうち意外だったのは、目に見えない「ギフト」のようなものや「気づき」、または「バトン」をもらっていたと知ったこと。一生懸命生きようとしている患者さんを短い間だったけど応援していると、いろいろ感じることがあるものだ。最後のnoteは朗らかな入院お役立ち情報で、コメントに「今日は落ち込んでいたけど投稿見て面白かったので元気出ました」みたいに書いた。発信読んで楽しい気分になったり励まされたりしたことは他にもあった。「可哀想な人」を「助けてあげる」のではなくて、双方的な何かがあったのだと思う。

  • わたしはもう乗ることはできないが、車好きの人の気持ちが今は少し分かる。『名車再生』を見て「楽しそうだなー」と思っている。
  • 何もしなければ後悔しただろう。色々やってもやはり後悔は残るけど、Twitterであそこにいて良かった。
  • 次に人生投げたくなったとき、多分山口さん思い出して「待てよ」と思うのでは。
  • わたしも多分それなりに周りから心配されている。
  • 阪神ファンは意外にかあいらしい。
  • 京都人のステレオタイプがいい感じに和らいだ。ステレオタイプなんて元々信じてないけど。
  • (まっとうな)コメントくれる人を大事にしているのがよく分かった。あんなに沢山あるのに読んでて、いろいろ律儀で偉かったなと。参考にしたい。
  • 考え深かったりとても強かったりいろんな面を持つ人だけど、中でも私人逮捕とかやんちゃは面白くて笑った。発信者情報開示制度の法律変わるよと教えたのはわたしもそのひとりだった。「誹謗中傷は天国からでも訴えたらどうや?」と今でも言いたい。自分も言い分は理屈立てて伝わるようになりたい。
  • 上のと関連して、著書の一見の読みやすさに騙されてはならず、「気付いてくれたー嬉しいー」みたいな何かが仕込まれていそうだからもう1回とは言わず読む。読ませる文章も見習いたい。伊藤計劃というSF作家は世に出たとき既にがん患者だった。生と死について小説を書く手もあるのかと思ったけど、闘病記も突き抜ければいいのだと今回分かった。

わたしもよくベッドの上で勉強している身だ。無菌室の中から勉強している人を初めて見た。 著書にも名前があるNHKの木内さんが、動画再投稿してくださって、考え考え静かにしゃべっている姿が印象的だった。やりたいこといっぱいあっただろうになと折に触れて残念に思う。ご身内やお友達ももちろん、担当医やスタッフの方々も辛いだろうなと感じている。今は目には見えなくなったけどどこで何をしているのかな?

最後に、エントリのタイトルは中原中也から。本当に小さいとき亡くなった文也という子がいて、悲しみのあまり心身を壊してしまうのだけど、この詩は可愛くてしょうがない頃に書いたらしい。「育てばや」は「育ってほしいなあ」の意味らしい。山口さんがピアノを始めたのが3歳と前に書いてたっけと思い出したりして探し出した詩。

吾子(あこ)よ吾子(あこ)

ゆめに、うつつに、まぼろしに……
見ゆるは、何ぞ、いつもいつも
心に纏[まと]ひて離れざるは、
いかなる愛、いかなる夢ぞ、

思ひ出でては懐かしく
心に沁[し]みて懐かしく
磯辺の雨や風や嵐が
にくらしうなる心は何ぞ

雨に、風に、嵐にあてず、
育てばや、めぐしき吾子よ、
育てばや、めぐしき吾子よ、
育てばや、あゝいかにせん

思ひ出でては懐かしく、
心に沁みて懐かしく、
吾子わが夢に入るほどは
いつもわが身のいたまるゝ

   (一九三五・六・六)

言葉の意味

[吾子(あこ)]
・我が子のこと。

[めぐしき]
・愛らしい。

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