戦争の話題にとらわれるわけ。

“Dalian” by bfishadow is licensed under CC BY 2.0

伊藤計劃の本(ブログから長さのある創作を抜き出したもの)をレビューしようと読み直していて、この人が戦争とか行く先々遺体ばかりとか、そういう作風なのはなぜだろうと思った。考えてみると自分もそういうものに親和性というか興味があるようで、病気しているだけが理由でもなさそうだ。

戦争というものを意識したのはいくつの時か分からないが、10歳になっていたかどうかだ。祖父はふたりとも戦争に行っているが、日露に行った方は早く亡くなったため、会ったことはない。日中に行った方は長生きして数年前に亡くなり(あんまり長生きするのもしんどいらしい)孫みんなを可愛がってくれた。

その祖父は太平洋戦争を習志野の情報部で過ごした。戦地にいたときのことは辛かったと間接的に聞いている(孫には言いにくかったのだろうか)。祖父母のうちに行くのはきょうだいもいとこたちも楽しみにしてて、農家なので新鮮な農産物が手に入ることと、サイダーとかアイスとかささやかな好物を買っておいてくれるのが嬉しかった。いちごの産地で、所々ピンクになるくらいまで熟し甘酸っぱく、不揃いで素朴なあのいちごは多分もう食べられない(露地ものだし)。

先ほど書いた10歳頃には、「おじいちゃんは戦争に行ってきた」ことを知っていたはずで、遊びに行くとよくひとりで本を読んでいて、そこには近寄りにくいところがあった気がする。「戦争の本だと分かっていた」のではないか、わたしもみなも。

ナチにもよきマイホームパパがいたらしい。彼らのことは知らないが、天皇陛下やいろんなものを背負って学歴はなくとも頑張って将校になった祖父は殺し合いをする事になった。何歳の時だったか「耳の横を弾が飛んでいった」「部下が沢山死んだ。中国人も死んだ」というようなことを、これも間接的に聞いている。さらに「馬鹿らしくなった。天皇陛下のため、お国のためと思って戦ってきたことが虚しい」とも言ったそうだ。

中国のことは「大連、旅順、懐かしい」と言っていたし、親は中国語で数の数え方を習ったらしい。元気な間に身軽なわたしが代わりに現地に行ってきたかった。

小学生の時には戦争に絡んだ本を読書感想文の課題に探してきていたが、頭だけでこねくり回したようなものしか多分書けてない。「先生」はすぐ近くにいたのに。県内にあった演習場のことは宿題があって質問したが、直接戦争体験は聞いていないというか、聞くのに迷う雰囲気だった。読書感想文を書いたことであまり触れてはいけないと知識が付いたのかもしれない。

祖父の晩年、慰めようと余計なことを書き送った。真意を伝えるにはわたしのしてきた辛い経験を話して心配させることになる。祖父母はわたしがここまで重い病だと知らずに亡くなったはずなので、それで良かったと思っている。余計な言葉についてはもうフォローのしようがない。

恩師に祖父母と同じ町出身の方がいて、祖父はいつもピシッと軍服着てたそうだ。さっきこの話思い出して、野良仕事してるところしか知らないわたしには全然ピンとこない。仲の良かった祖父母は相次いで亡くなった。

祖父がいなくなっても世に戦争はつきない。幸い日本が参戦ということは終戦以来ないが、かつて戦争があったことを知る人もどんどん少なくなるのだろう。

そんな訳で、心の平穏な時には紛争地に近い筋からツイート読んだり、たまに戦争映画見たり、ドキュメンタリー見たりしている。「忘れないこと」しかわたしにできることはない。これが伊藤計劃にも繋がっている。

長い前置きだったけど、こんな感じ。

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